先日、見応えのある映画を映画館で鑑賞してきた。
緊急事態宣言下だったので事前に席を確認したところ、ガラガラだったので映画館で観ることに。観た映画はこちら。
「すばらしき世界」
原案は佐木隆三の「身分帳」。西川美和が現代の情勢に当てはめて脚本をおこし、監督をしたもの。役所広司演じる「三上」という男が刑務所から出所して社会復帰を図ろうとする日常を描いている。
「三上」は直情的な性格で法律やモラルに関係なく自分の感情で動くような人間性があり、元暴力団の前科者という社会的な立場と自身の性格から、「普通」の社会生活に溶け込もうとするも、思うようにいかない日常が時にシリアスに、時にコミカルに描写されていく。
話が淡々と進むだけに、様々な見方や切り取り方ができ、様々な感情に訴えられる映画だと思う。
ネタバレするので詳細な描写は控えるが、私の中で鬱屈した感情が沸き上がったシーンがある。
それは、「普通」の社会の中に溶け込むべく、「三上」が自分の思う正義を抑え、トラブルを見て見ぬふりをし、怒りを堪えて周囲に迎合するシーンだった。
「三上」の視点に没入していると、自分を殺さなければならないもどかしさを感じる一方で、「『普通』の社会であれば我慢するのが当たり前」という私の中に植え付けられた常識がぶつかり、なんとも言えない気持ちになったのだ。
国民性、個人差や事柄の大小はあれど、こう言ったことは普段私たちの生活の中で、日常的に発生しうることだ。法律、規律、規範、モラル・・・社会という仕組みを回すために、物事を円滑に進めるために、相手を尊重したり、時に個を殺すこともあるだろう。
私自身翻ってみると、気づけば自分の感情を表す言葉をあまり発していないことにハっとさせられた。小さい頃、もっと素直に、率直に自分の感情を出していたはずなのに。
社会という仕組みの中で生きていくために、人付き合いの中で「付き合い上手」でいるために、いつの間にか必要以上に自分を殺していないだろうか。それに慣れすぎて「当たり前」だと思っていないだろうか。
映画の中で「三上」は不器用ながらありのままの自分を知る理解者を増やしていく。
私ももう少しだけ、自分に正直に、ありのままに生きてもいいのかも知れない。
本日のお絵かき1枚。
映画を観て描いた1枚。裁ち鋏がぐぐ〜っとアップで映るシーン。
(確か映画は鋏が閉じてていたかもしれない・・・)
観てない人には何のこっちゃと思うだろうけど、私にとっては目に焼き付いた裁ち鋏。
ただただ鋏が映るんだけど、その背景には濃ゆい心理描写があったと思うのよね。
観たら共感できると思うんだけど・・・。伝わらないかな(笑)。
今回のテーマとは違うけど関連して。
前科者を積極的に採用している北海道の建設会社の社長のお話。
前職の官公庁関連野部署が自治体から就労支援や生活支援の事業を請け負っていたので、この手の話は職業柄気になっていたのだけど、今回の映画きっかけで改めて気になりポチってしまった。
社会的な問題として前科者の再犯率が高い原因は社会の受け皿が少ないことにあり、そこに真正面からぶつかっている。尊い。
こういう取り組みの企業がもっと増えて欲しいと思う。
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